宗教の勧誘と勉強


とある日の出来事であります。


久々に早い時間に帰宅し、洗車をしてゆっくり鉄道模型でもと思った時でした。


インターホンが鳴ったので画面を見ると見知らぬ女性が2人立っていました。


〇△◇%★~で…


どうやら宗教の勧誘のようでした。


忙しい時は丁重にお断りするんですが、この日はせっかくだからとゆっくりお話に


耳を傾けてみることにしました。


実はコレ、ものすごくいい勉強になるのであります。


何の勉強になるのかというと、クレーマー対応であります。


自分には全くもって関係のない、興味なんて1ミリもない話にじっくりと耳を傾けて


しっかりと対話をする訓練とでも申しましょうか、こういう機会を自分は


しっかりと活かしてスキルにしようと数年前から取り組んでいるのであります。


玄関先に出てご挨拶からはじめます。


よくぞこんなコロナ禍の中、人様の家のインターホンを鳴らせたものであります。


女性2人は紙袋からオリジナルの書籍を取り出して何やら説明をはじめました。


この世の中を変えるのはやはりもう私たちしかいないのだとおっしゃいます。


世界各地でおこる様々な災いからこのコロナによる経済の低迷まで、


誠に幅広い壮大なスケールのお話がテンポよく展開していきます。


大体この手の訪問の場合2人一組で、1人がよくしゃべり1人はほとんどしゃべらず


ちゃんと役割分担ができているものです。


この日驚いたのはインターホンのカメラに映らなかった子供も


同行していたということです。


聞くとまだ小学校低学年とのことで、この活動の趣旨もよくわからないまま


母親に連れられてきたようでありました。


人とは生きていればいろんなことがあるものです。


イイこともあればそうでないこともあります。


幸せなのか不幸せなのか、そもそも幸せとはなんなのか、不幸せとはなんなのか…


宗教とは自由であります。


信じるのも信じないのもあなた次第というやつです。


自分は無宗教です。


信じるのは誰かの教えではなく己自身です。


頑張って努力すれば必ず結果も出るし報われます。


ダメならまだまだ努力が足りなかったり極論を言えば運やご縁がなかったとします。


それでも困ったりしたのなら、たまに神様にナムナムすることはあります。


初詣なんていうのはその一種かも知れません。


いつも安いお賽銭で無理難題ばかり言って本当に申し訳ない思いです。


それでも頑張って日々それなりに楽しくやってるワケです。


大事なのは家族であり、守るべきものも家族、それから部下であります。


そもそも宗教を全面的に否定するつもりはありません。


ただ宗教とは人に勧めるモノでも勧められるモノでもないと思っているし、


お金もさほどかからないものと思っています。


ましてや政治とは無縁でなくてはならないと思っています。


選挙が近づくとやたらとお願いに来る近所のおばちゃんもいたりしますが、


それをいちいち否定したりはしませんけど。


この日の女性も1人は16歳の時にこの宗教の魅力にハマったそうです。


もう1人の女性は両親からの教えで物心ついた時から夢中になっているそうです。


イイことがあれば宗教のおかげ、悪いことがあってもそれはその宗教のおかげで


これくらいで救われたのだと理解するようで、目を輝かせて真剣にその魅力を


お話になる姿は、全てを捧げるってこういうことなんんだろうなぁ~っと


関心すらしてしまうほどであります。


で、話を戻すと、これは自分にとって勉強なのであります。


しっかりとそのお話を黙ってうなずきながら最後まで耳を傾ける辛抱の訓練。


そして大方お話が終わったら自分の世界に逆に引きずり込んで料理するワケです。


その宗教を否定するのはちょっと申し訳なくも思います。


その人たちの表情を見ながらお話を親身になって聞いてるフリをしながら作戦を練り、


それを実行にうつす訓練であります。


自分の中で制限時間を設定して論破してお帰りいただくまでのプランを考えます。


この日は約20分のありがたいお話をお聞きして、自分は約30分ほど


しゃべらせていただきました。


ちょっともう次に行こうかしら的な感じになったので、引き止めながらもう10分ほど


しゃべらせてもらい、最後は質疑応答と今後の活動内容などをお聞きして


お帰りいただきました。


同行した子供にとっては、さぞ地獄のような時間だったと思います。


貴重な時間を有意義に過ごせたと自負しております。


(*´ω`*) ♪