流離の旅へ 中編

前回のあらすじ


部下に仕事を任せて気楽にも有給休暇を遂行したakiring。


納車されたばかりの新愛機"RAV4"で三重県方面へドライブする流離の旅へと出かけた。


ちょいちょい休憩しながらたどり着いた山奥の場所で目の前に現れたツタに覆われた


謎の構造物の正体は一体…



ツタに覆われた謎の構造物の前で新愛機"RAV4"を撮影。


あいかわらずゴッツイ面構えにキュンとします。w



さて、到着しましたのはJR東海の名松線の終着駅であります伊勢奥津駅であります。


ツタに覆われた謎の構造物は、今は使われていない給水塔であります。


そう、昔活躍した蒸気機関車に給水するための設備であります。


この辺りは林業が盛んで、その昔は大勢の人でにぎわいました。


"名松線"という路線名はこの路線が名張から松阪をむすぶ計画だったことを現しています。


しかし名張から松阪は並走する近鉄が走っています。


路線形状が良く電化され運行本数も多い近鉄に比べ、山間部を非電化で走る名松線に


名張まで路線を伸ばす意味がなくなってしまったので、


終着はこの伊勢奥津駅となったワケであります。



名松線は幾度か廃線の危機にさらされてきました。


ただでさえ大赤字路線である名松線でありますが、


度重なる自然災害で何度か不通となっています。



その度に復活を遂げてきましたが、2009年10月の台風18号で約40箇所の


土砂崩れが発生し、家城~伊勢奥津は再び廃線の危機となってしまったのです。


しかし周辺自治体の熱烈なはたらきかけにより、


約6年の年月を経て奇跡の復活を遂げたのであります。



伊勢奥津駅の駅舎は新しくされ、土産物店などが入ります。


建物内には名松線の歴史がわかる写真が展示されています。


昔は蒸気機関車が牽く貨物列車も活躍していた名松線。



国鉄時代はキハ35系やキハ58系も活躍していました。



数ある写真の中には幾度かの廃止の危機と闘ってきた歴史もありました。



こうしてこの伊勢奥津駅にキハ11 300番台が来ることの重みを感じさせられます。


伊勢奥津駅で名松線の歴史を学んだら、次の目的地に移動であります。


名松線は最高速度が確か65㎞くらいだったと思います。


次の目的地まで先に伊勢奥津駅を出たキハ11を容易く抜いて先回りが可能です。



先回りするとスグにキハ11がやって来ます。


撮影をしたら再び並走しながら移動です。



名松線は雲出川に沿って走っています。


雲出川は川底が見えるくらい水が綺麗な川であります。


名松線は何度か雲出川を渡りますが、ちゃんとカメラをセットすれば水鏡の撮影も


きっと楽しめるはずであります。



次回、流離の旅へ 後編へつづく