いよいよ引退

こんばんは、akiringです。


いよいよあの人気車両が引退します。


そう、JR東日本の185系電車であります。


SNSでも皆さんそれぞれに185系への思いを寄せていますが、


自分も何かと思い入れがある車両であります。



1981年(昭和56年)に登場した185系は特急"踊り子"としての運用の他に、


"湘南ライナー"や"ムーンライトながら"など様々な列車として活躍してきました。


後から登場した車両よりも長く活躍することとなったのは、その汎用性に優れた


設計と性能があったからこそだと思います。



自分はやはり"ムーンライトながら"で運用される姿が印象深いです。


普段中京圏に姿を見せることがない東日本の車両が見られるということの特別感が


なんとも興奮したものであります。


残念ながら晩年はコロナ禍の中で運転されることはなかったワケですが、


最後に大垣まで撮影に行けたことはいい思い出となりました。


やはりこの前運用を離脱した近鉄12200系もそうですが、昭和の車両は趣が違います。


ちなみに写真は一昨年伊豆箱根鉄道に乗り入れる"修善寺踊り子"を撮影したものです。



熱海で連結開放され、沼津より先は伊豆箱根鉄道に乗り入れる5両編成の踊り子。


どうしても撮影したくて、房総の地へ向かう途中に寄り道をしたのでありました。



さて、引退と言えば中京圏で活躍してきました愛知機関区のDD51もそうであります。


全国的に様々な仕様で活躍してきた凸型ディーゼル機関車は、気がつけばその数を


どんどんと減らしていきました。


中京圏では比較的当たり前のように走っていたこともあり、特にシャッターを切るという


こともなかったのが本音であります。



しかし、とある日に関西本線沿線で南紀を狙って撮影に出かけた時のこと、


神奈川県からクルマで日帰りで撮影に来たという紳士に出会いました。


撮影の合間にいろいろとお話をさせていただきましたが、なんとお目当ては他でもない


DD51だということに驚かされたものであります。


こんなに当たり前のようにDD51が活躍している土地に住んでいるなんて、


なんて幸せなんですかと言われたのがきっかけで、


自分もDD51を撮影するようになった気がします。



多くがJR貨物更新色となった中で、国鉄色のまま運用された個体もありました。


あの頃はそれほど珍しいことではありませんでしたが、撮影しておいて良かったです。



結構前から引退の話は出ていたDD51ですが、それからも結構長く運用されました。



もしかしたら一生運用されるのでは、なんて冗談で話していたくらいであります。



しかしそんな話はやはり冗談で、北海道からDF200が続々とやってきた頃から


やはり引退してしまうんだなぁ~なんて覚悟はしました。



1804号機はやたらと出会う機会が多かった個体であります。



四日市まで撮影に行ったこともありました。



入換作業を食い入るように見学したのも思い出であります。


こっそり四日市港周辺で引退しないで生き残ってたりなんかしないかなぁ~なんてな。



愛知機関区で解体を待つ姿を見た時には複雑な思いでありました。


この2機はお召機として活躍したEF64 77号機と共に解体されました。


連日関西本線沿線ではカメラを構えた鉄道マニアが後を絶ちませんが、


それだけ人気のある機関車であったということであります。



ウチでは様々な仕様のDD51が在籍していますが、これからも活躍はつづきます。


(*´ω`*)